ある偉大な陶芸家と、そうでもない陶芸家と、陶芸教室の生徒さんのお話。

   



あるところに、その世界では名を知らぬ人がいないほど有名で偉大な陶芸家がおりました。


その陶芸家にはたくさんの弟子がいました。
弟子達の中には、師匠ほどではなくとも有名な陶芸家もいました。名は知られていなくとも素晴らしい陶芸家もいました。


一人立ちしてまもない陶芸家も、これから陶芸家を目指す弟子も、たくさんいました


偉大な陶芸家は教室も開いておりました。


教室は、全国各地で既に名を上げている別の陶芸家も通うほど魅力的なものでした。


ある日、一人立ちして間もない陶芸家は偉大な師匠が開いている教室を見に行こうと思い立ちました。


一人立ちして間もない陶芸家は毎日モヤモヤとしてました。仕事の依頼ももっとほしいし、自分の技術も芸術性も磨きたかったからです。


「師匠のつくるモノやつくっている所作を見て盗んで持ち帰って練習しよう」




そんな気持ちでした。



一人立ちして間もない陶芸家はそこで、モヤモヤを忘れるほどの時間を過ごしました。



師匠が、手技を披露している時間はその場の全員が食い入るように見つめていてとても静かでした。

教室に参加している生徒さん達はとても熱心でした。

高額な受講料を払って一流の技を盗みにきているのだから当たり前だなぁと一人立ちして間もない陶芸家は思いました。


そう思って見ていると1人の生徒さんが質問してきました。


「ここはこのやり方で大丈夫ですか?」


一人立ちして間もない陶芸家である自分なんかに聞くより...
と思っていても仕方はないし、さっき見た師匠の手技は、全く初めて見るものではありませんでした。


少しずつ丁寧に気づいたところを伝えてその生徒である陶芸家に実演しました。


その後も数人の生徒さんに、こうした方が上手くいくとか、姿勢を変えるとやりやすくなるとかそんなことを伝えていきました。


間違ったことは伝えられないのでそれはそれは真剣に伝えました。


生徒さん達を見ていると、こんな風にあの説明を捉える人がいるのだなぁ。とか、きっと同じことをしているつもりなのだけど、経験不足で手や姿勢が不安定だから崩れてしまうのだなぁ。とかたくさんの発見がありました。


師匠はわかりやすく、シンプルに説明をして、時々上手く出来ている生徒さんを褒めて、終始優しそうでした。


一人立ちして間もない陶芸家は、内心どきどきしていました。師匠に見られているかもしれないからです。もちろん、全く見ていないかもしれないのに。


ただその意識がある中で、人に何かを伝えようとすると感覚は研ぎ澄まされるし、より的確にわかりやすく伝えようとするためにさらに理解を深めようとします。


教室が終わったあと、師匠のところへ挨拶へ行きました。


「今日はとても勉強になりました。ありがとうございました。」


すると師匠は、まるで全てお見通しのように笑って、


「おう!また来てくれよな!」



一人立ちして間もない陶芸家は本当に心から行ってよかったと思いました。

というフィクションのようなノンフィクションのお話。

なんでも動いてみることがまず大事かもしれないと思うそんな夜でした。
良い週末をm(__)m


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